【2016年5月31日号】いわき震災通信vol.89

【2016年5月31日号】いわき震災通信vol.89

皆様、 例年よりも早い夏の到来を思わせる陽気が続いています。 熊本地震の被災地では、熱中症の被害も懸念されています。 被災されている方々やボランティアで活動される方々にとって、少しでも過ごしやすい気候であるように祈らずにはいられません。 5月14日から4日間、熊本に伺って来ました。 東日本大震災当時、私たちの活動を支援し続けてくれた「NPO法人れんげ国際ボランティア会」が今回の地震で被災者支援のために動いているとの報を受けて、少しでも応援できることがあればと駆けつけたのでした。 カバンの中には、発災後いわきの中高生たちが街頭募金で集めた義援金や、ピープルの店舗に置かれた募金箱で集められた募金、そして関連団体などから託された募金が入っていました。 その総額は100万円を超えていました。 ちょうど地震発生から1ヶ月が経とうとしていました。 熊本市中央区のビルが立ち並ぶメインストリートを走るだけでは、どれほど大きな地震があったのか想像することは難しい程、日常が戻っていました。 が、熊本市内の東区から益城町に入るとその様相は一転し、あらゆる家屋に生々しい傷跡が残っていました。 昔ながらの大きく立派な日本家屋は、どれも上から大きな力で押しつぶされたようになっていました。 元来狭い作りだという脇道は、崩れた塀や法面の土砂が取り除かれることなく残され、車の通行ができない場所も少なくありませんでした。 復旧のための手が足りていないのだと、感じずにはいられませんでした。 「余震が怖くて家で眠れない」…そう言って、いまだテントや車両での生活を選ぶ被災者がいるという現実が、胸にのしかかってくるようでした。 そうした状況の中で、「れんげ国際ボランティア会」が行っているのは、熊本市東区内の避難所に向けた配食の形での炊き出しでした。 統廃合が進む避難所の中では、東日本大震災当時とは違った状況が生まれていました。 日中は熊本市内の職場に働きに行き、夜は避難所に戻って過ごす人が多く、東日本大震災当時いわきで仕掛けたような形での自炊の炊き出しは難しいということでした。 確かに、訪れた避難所に日中残っているのは高齢者ばかりという印象でした。 缶詰とレトルト食品ばかりが続く避難者の方たちの夕食に、野菜がたくさん入った汁物を届けているのでした。 気温が上がっていくこの時期ですから、運搬のためには最新の注意を払っている様子が感じ取れました。 私がお邪魔させていただいた時には、汁物を届けたついでに、避難されている方々にいわきから持参したコットンベイブをプレゼントさせていただきました。 このベイブは、サルの顔をしています。 そして、「熊本の皆さん、一日も早く禍がサル(去る)ように!」とのメッセージをつけてあります。 「福島で避難生活をしているお母さんたちが作った人形です。元気になって頂きたくて持参しました。」そう言って手渡すと、こちらが恐縮するほど何度もお礼を言って下さいました。...

【2016年 4月30日号】 いわき震災通信vol.88

【2016年 4月30日号】 いわき震災通信vol.88

皆様、 熊本での大きな地震災害に、心を痛めております。 亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 大きな揺れが続く日々の中で不安な気持ちを抱えておられる皆様に、一日でも早く平安な日々が訪れ ることをお祈り申し上げます。   「私たちは、いわき青少年ボランティアONE STEPです。熊本地震救済のための募金活動を行って います。ぜひご協力ください。」JRいわき駅前のペディストリアンデッキに並んだ、まちまちな制服を 身につけた学生たちが声を合わせて呼びかけます。 その声に応えるように、改札から街へと足を向けていた人が足を止め、一人二人と募金箱に浄財を入 れてくださいます。「毎日頑張っているね。」と、言葉をかけながら…。 熊本地震の報を受けて、福島県いわき市に住む中高生たちが4月19日から10日間、募金活動のため にと毎日街頭に立ちました。 彼らは、これまでザ・ピープルが4回に渡って実施してきた中高生水俣派遣研修事業に参加したメン バーと、派遣研修後に市内での公民館活動などを通して繋がってきた仲間たちです。 市内の別々な学校で学ぶ学生たちが、放課後集まって来ては共に並んだのでした。   彼らが参加した派遣研修がスタートしたのは、東日本大震災の翌年でした。 津波被災者と原発避難者が共生する街で次代を担う若者たちに、多くの学びを伝えることのできる場所 として、私たちは熊本県水俣市を選びました。 派遣費用のうち航空運賃は、熊本県玉名市に本拠地を置く認定NPO法人れんげ国際ボランティア会がサ ポートし続けてくださいました。 事前事後の研修と5泊6日の派遣研修期間中に、彼らは様々な場で学びを重ねました。 水俣市では、水俣病によって苦しめられた人々の声に耳を傾けました。...

【2016年3月22日号】いわき震災通信vol.87

【2016年3月22日号】いわき震災通信vol.87

皆様、 東京から桜の便りが届いた昨日、我が家の庭には沈丁花の甘い香りが漂い、こぶしの純白の花びらが青空に映えていました。 そして、春の農作業も始まりました。 花粉症の皆さんにはちょっと気の毒ですが、私にとっては心躍る春の到来です。   5年目の3月11日をめがけて、マスコミでは競って東日本大震災関連の報道を繰り返していました。 次々立ち現れる様々な事件、事故、ゴシップに追い回されていた常日頃の報道のあり方への贖罪であるかのように、その報道では被災地と呼ばれる地域の様々な課題が取り上げられ、解説されていました。 その報道を、被災地に住む人たちはどんな気持ちで見聞きしていたのでしょうか? ある人は言いました。 「この季節になると、息苦しさが募ります。新聞を開いても、テレビをつけても、この季節は『震災を忘れない』とのメッセージと共に、あの当時を思い出させる映像や記事が目に飛び込んできます。忘れないでいてくれることをありがたく思う反面、息苦しさを感じるのは私だけなのでしょうか?あの頃の、逃げ場のない閉塞感が立ち返ってくるのは、私だけなのでしょうか?」 日頃は、震災のことなどとうに忘れてしまったようなマスコミのあり方に腹を立てていたのに、これほど集中して報じられると受け入れ難いものを感じてしまう…。 そんなジレンマは、同じように私の中にもあるものでした。 5年目というタイミングがさせていたに過ぎないこの震災報道ラッシュは、すでに下火になろうとしています。 次は、桜に興じる日本列島が大きく報じられる番なのでしょう。   「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」では、ようやく今年度収穫したコットンの計量と綿繰りが終わりました。 昨年度に引き続き約630kgのシードコットン、原綿計算で210kgの収穫ということになりました。 2012年に栽培を始めてから、2013年に890kgという最多の収穫量を記録したあとは、ほぼ横ばいの収穫が続いていることになります。 昨年秋の気温のなかなか下がらない天候や長雨のせいか、コットンボールがなかなか弾けず、やきもきしていた農家さんたちが少なくなかったので、やっと皆で胸をなでおろすことができました。 2月20日、全国コットンサミットの実行委員会から講師を招いて、コットン栽培についての学習会(地球環境基金助成事業)を開催した際に、集まってきてくれた農家さんたちの関心事は、ほかならぬ収量のことであり、4年目の栽培ということで連作障害があるのかどうかということでした。 その質問が講師に投げかけられました。 その時の答えは、「連作障害はあります」でした。 それは、私たちには少々受け入れ難いものでした。 実は、コットン栽培や有機農業に関して専門的な知識をお持ちの方に尋ねると、連作障害が「あります」と「ありません」の双方の返事が返ってきます。 4年目の栽培となる圃場でも、これまでと同じような収量が確保できたことは、「ありません」という判断に従ってきた私たちにとって、これでよかったという裏付けのように感じられました。...

【2016年2月25日号】 いわき震災通信vol.86

【2016年2月25日号】 いわき震災通信vol.86

皆様、 小さな春の足跡を庭先のそこここに見つける頃となりました。 そして、5年目の3.11が目前に迫ってきました。 震災復興の集中期間が終わり復興・創生期間が始まるとされるその日まで、もうすぐです。   昨日は、双葉郡広野小学校の子供達と、広野町の防災緑地にどんぐりの苗木を植える活動を行ってきました。 津波被災エリアに広く伸びる防災緑地は、震災後の東北地方の太平洋に面した沿岸部の風景を一変させています。 かつて人々の営みが広がっていたエリアに、大量の土砂が運び込まれ、高さ10m近くにもなる緑地帯が築かれようとしています。   海はもう見えません。 ある意味画一的な風景が広がることになってしまいそうなこの防災緑地に、少しでも地域性を生み出したいと、各地で様々な取り組みが行われています。   双葉郡広野町で行われている取り組みの一つが、昨日行われた小学生の子供たちがこれまで育ててきたどんぐりの苗木の植樹であり、このあと、3月5日と6日に開催される植樹祭ということになります。   住民などからなる「ひろの防災緑地サポーターズクラブ」が組織され、広野ならではの森を生み出そうと、樹種の選定など一から準備を進めてきました。 5日の町主催の植樹祭には、500名規模での植樹が予定されています。   また、翌6日には、復興庁の「新しい東北先導モデル事業」として、プレゼントツリーという仕組みで、首都圏の方々がここに記念樹を植えることで住民と10年間に渡る交流をスタートさせる植樹が行われます。 「新しい東北先導モデル事業」をご一緒している関係で、私たちも広野町でのこうした活動をお手伝いさせていただいているのです。 私たちにとっては、広野町浅見川沿いの畑でのコットン栽培から広がった広野町とのご縁です。 6日には、「コットンドリームいわき」という、立教大学セカンドステージで学んだシニアの学生さんたちが立ち上げたNPOが、植樹のバスツアーを走らせます。 もし参加を希望される方があれば、まだ数席余裕があるそうですので、お知らせください。   このところ、私たちの周辺では、企業の方々とのお付き合いが実を結ぶという場面に出会すことが続いています。ご紹介させていただけたら嬉しいです。  ...

【2015年12月31日号】 いわき震災通信vol.85

【2015年12月31日号】 いわき震災通信vol.85

皆様、 今日は大晦日。 あと何時間かで2015年が終わろうとしています。 今年1年お世話になった皆様に、心より御礼申し上げます。 今年最後の震災通信を、滑り込みセーフ!というタイミングで、漸くお送りすることができました。 震災が起きる直前の2011年1月、ザ・ピープルでは創立20周年を記念したシンポジウムと祝賀会をいわき市内で催しました。 前年の12月に、任意団体としての結成からちょうど20年という節目を迎えていたのでした。 自分たちが進めてきた古着リサイクルの活動の振り返りと共に、長年活動を支えてくれてきた仲間たちに改めて自分たちの活動の意義を認識してもらうこと、その労をねぎらうことが開催の目的でした。地球環境基金の助成事業としてそれまで3年間かけて進めてきた、県内各地の古着回収ネットワーク構築事業の成果発表の場でもありました。結成25年目の四半世紀という節目も、同様に迎えられると信じて疑わない時期の開催でした。 その後の5年間。それは、私たちにとって激動の5年間であったといっても過言ではありません。 私たちの組織のみならず福島県全体が、未蔵有の複合災害に直面し、その対応の中からこれまでとは違った技術や価値観、社会を生み出す…そのための産みの苦しみの中にある。 そんな5年間だったのではないでしょうか。 そして、その過程はまだまだ道半ばに過ぎません。 結成から四半世紀というこのタイミングは、私たちにとって単なる通過点となりました。 今は私たちにとって、そしてこの地域にとって大きな転換の最中であり、まだ皆と思い出話をする時期ではないという思いがあります。ここからあと何年後かに、「震災後」という時期を振り返ることができるように、今は走り続けていきたいと思うばかりです。 12月10日から12日まで、東京ビッグサイトで催された「エコプロダクツ2015」に、今年も出展してきました。 「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」の名前での出展で、福島県いわき市を中心とした浜通りで、震災後在来種の綿花を有機栽培しているチャレンジについて紹介させていただいてきました。ここ数年、出展を続けさせていただく中で気になっていることがあります。大企業の立派なブースが会場のメインを埋め尽くす中、NPO/NGOブースは次第に会場の隅に追いやられているような印象がしてなりません。 今年の私たちの出展場所は、広い会場のまさに一番隅でした。 それでも、「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」のブース名を頼りに、わざわざ足を運んでくださる方が何人もいらっしゃって、嬉しい再会の場面がいくつもありました。 「いわきに行ってコットン収穫してきました」「うちのベランダでもコットンが実りました」「種を分けてもらえますか?自宅で育てたいのです」…。 4年間のプロジェクト継続の中で、首都圏にお住まいのたくさんの方々とご縁を頂いてきたのだと、改めて感じるひと時になりました。 そして、地球環境基金の助成事業であることを記した幟をブース内に展示していたところ、ある大手企業のCSR担当の方から、声を掛けていただきました。「自分の会社では、これまでずっと地球環境基金に寄付を行ってきています。その寄付金がどのように活用されているのか、実際にこうして目にする機会は今までありませんでした。しかし、今日寄付した先にこういう活動があることを確認できて嬉しく感じています。」新たな出会いをいただく場となりました。 「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」のコットン栽培は、漸く4回目の収穫を終えようとしている時期になります。今年の作柄は、正直あまり良くありません。 先日、今年の栽培を振り返る集いを、栽培をしてくださっている農家さんたちと持ちましたが、「今年はあまり良くなくて」と仰る方と、「今年は良く実りました」と仰る方が相半ばしているようでした。総収穫量は、おそらく最も収穫量が多かった年の半分程度に落ち着くのではないかと思われます。栽培年数を重ね、経験を重ねることが収量の向上に直接つながるものではない農業の難しさを、また噛み締めています。 そして、今年の締め括りの時期は、私たちのプロジェクトにとってもうひとつの意味で大きな難しさを抱える時期となりました。 これまで3年間栽培の中枢を担ってくれていた矢口拓也君が、いわきの地を離れることになったのです。...

【2015年10月24日号】いわき震災通信vol.84

【2015年10月24日号】いわき震災通信vol.84

皆様、 昨日いわき市の中山間地三和町まで車を走らせたとき、車窓から見える里山の木々は着実に色づき、秋も終盤へ近づいたと如実に物語っていました。 前号からの間に大きな災害がまたもや日本列島を襲いましたが、お近くで被害などありませんでしたでしょうか?被害に遭われた皆様に、心からお見舞い申し上げます。 茨城県常総市での水害の報に接し、何かお手伝いできないものかと思っていました。小名浜地区復興支援ボランティアセンターという看板を掲げている者として、震災後にいただいた沢山のご恩に報いるためにも、何かできないか…。ずっと問い続けていました。若い仲間たちの中には、直接常総市に出向きボランティア活動に参加する者もありましたが、ザ・ピープルとしてできる形の支援があるのではないかという思いがありました。 そんな中、震災後ずっと埼玉県からいわきに足を運び続けてくれている「絆ジャパンボランティアチーム」代表の坂下三浩氏のFBページで、常総市に救援物資として送られてくる古着の中に使用できないものが数多く含まれており、その処理に苦慮していることを知りました。 震災のあと私たちの現場でも起きた現象が、残念ながらまたも繰り返されているのです。 「これなら私たちにもお手伝いできる。いや、これは私たちにしかお手伝いできない」との思いが芽生えました。 早速、坂下氏に連絡を取り、常総市の担当者の方と繋がり、実情を伺うことが出来ました。今、常総市に行き場のない状態で山積みになっている古着は、目算で10トントラック3台分。倉庫の内1箇所は10月末には引き払わねばならない状態であるとのことでした。ひとまず、今週末に「絆ジャパンボランティアチーム」の皆さんが防寒着などこれから使える衣類を選び出し、残ってしまった古着について10月31日に本会が手配した10トントラック1台で搬出する段取りが整いました。 被災地の負荷を少しでも軽減できたら…と願っています。 そして、次の災害時には、こうしたことが繰り返されないように、私たちは考えなければならないと改めて思っています。 今夏も、「水俣に学び、いわきの未来を創るプロジェクト」として、いわき市内の中高生を熊本県水俣市およびその周辺地域に派遣しました。 この事業を開始したのは、震災翌年の平成24年度。当時、いわき市における社会課題を水俣と関連付けて語るとき、周囲から返ってくる反応は、その意味合いを測りかねるというものが少なくありませんでした。 しかし、これまでの時間の経過の中で、水俣から人を招いて話を聞こうとする動きや、実際に水俣に足を運んで学びを求める動きが、私たちの周辺でも生まれています。 いわきと水俣の社会課題の間に類似性を感じる人が、間違いなく増えてきているのです。 水俣で一つの公害病の発生に起因する社会問題が起きたとき、人々はその解決に向けた動きを生み出すまでに長い戦いと沈黙の時間を必要としました。その過程を学ぶことで、いわきで起きている、起きようとしている社会問題の解決に向け動き出すための時間を少しでも短縮させたいというのが、この事業を開始した目的でした。 そして、その担い手として、次のいわきを支える人材となる若者たちにこそその学びを伝えようとしてきました。 参加する学生たちは、その思いに応え、「自分たちの町に自分たちはどう関わるべきか」という重い宿題を抱えて派遣研修から戻ってきました。その答えを見出すため、もう一度参加したいと申し出る者も現れました。そして、フィリピンやネパールでの災害の報を受けて、自ら募金のため町角に立つ者もありました。 今回の常総市での水害には、仲間を募ってボランティアに出向くという行動力も見せました。第1回からの参加者たちが派遣年度の違いを超えて交流し、協力し合う姿にその大きな力と広がりを感じています。そして、第4回となった今年の派遣では、鹿児島県出水市の地元中学生との交流の中で、熊本県水俣市に隣接し同様の患者発生が見られた同市にあって、自分たちと同世代の学生たちに水俣病について教育現場で伝えられていない現状を見聞するという体験をしました。「なぜ伝えられていないのだろう?」この素朴な疑問の中から、彼らはさらに多くの気付きを得、自らの言葉で伝え続けることの重要性を再確認しました。そして、それは出水市の中学生の中にも波紋を生み出す結果となりました。 本事業の報告会を、11月3日(祝)13:30~15:30 いわき市文化センター2F会議室で行います。 いわき市の「いわき市明日をひらく人づくり基金」の助成のもとに進められた本事業は、今年度が助成年数の期限であることから、次年度以降の継続が約束できない状態にあります。 そのことを参加学生たちに伝えたとき、彼らの中から声が上がりました。 「自分たちでこの事業を継続していきたい。この事業を通して、同じようにいわきの町を真剣に考える仲間を増やしたい。」この言葉が、研修直後の興奮状態の中の言葉だとは思いたくありません。彼らの来年が、その先が楽しみでなりません。是非、一緒に彼らの声をお聞きください。 いわきおてんとSUN企業組合(平成25年度)と広野町わいわいプロジェクト(今年度)は、共に復興庁の「新しい東北先導モデル事業」として多大な支援を頂きながら事業を進めてきています。 こうしたモデル事業の関係者向け交流会が、11月7日いわき市内で開催されるのに合わせ、この二つの取り組み現場を実際にご覧いただくエクスカーションを企画しました。ソーラーでの紅葉ライトアップやおてんと事務所周辺での取り組み、広野町でのコットン栽培、いわきパークフェスの紹介と、双葉郡内に今も残る厳しい現実の視察…。1泊2日でじっくり腰を据えて見て頂きたい、聞いて頂きたいと思っています。 詳しくは、下記のHPに掲載されています。...

【2015年8 月15日号】

【2015年8 月15日号】

皆様、 残暑お見舞い申し上げます。 いわきの街中のそこここから、お盆の風物詩であるじゃんがら念仏踊りの鉦と太鼓の 音色が流れてきます。 立秋を過ぎても、まだまだ猛暑の中の日本列島ですが、如何お過ごしでしょうか? 前号をお送りしたのが6月5日。 それから随分と長い時間が過ぎてしまいました。 震災通信という名前で、それまで名刺を交換させて頂いた皆様に一方的な情報提供 をさせて頂き出したのは、東日本大震災の発生直後、2011年3月21日のことでした。 当時ネット上で「いわきでは老人や子供が放射能汚染でバタバタと死んでいる」と いったデマが横行し、街から人影が消え、ゴーストタウンのようになっていく状況 を前にして、せめて自分がこれまでお会いして名刺の交換をさせて頂いた方にだけ は真実をお伝えしたいと書き始めたものでした。 それと同時に、救援物資としては届くことのない日用品を望む声が津波被災者から 聞こえたことを受け、全国各地で調達して送り届けてくださるようお願いするため の手段でもありました。 それまで、インターネットを活用することなどあまり積極的に考えてもいなかった ローカルなNPOにとって、自分の発した情報が転送されながら拡散していくという ことは全く初めての体験と言ってもいいものでした。 その通信が83号を数えるまでになりました。 震災から4年5ヶ月。 これほど長くこの通信を書き続けることになるとは、全く想定していませんでした。 震災通信という名称が、現状とは似つかわしくなってきたと感じつつも、そのままの 名称で今回の通信を送らせて頂きます。 今回は、「いわきおてんとSUN企業組合」について書かせて頂きます。...

【2015年6月5日号】

【2015年6月5日号】

皆様  入梅の報が届く頃になりました。 真夏を思わせるような暑さの方が先に到来していたので、このまま梅雨なしで真夏に 突入するのでは?と要らぬ心配をしていましたが、どうやら梅雨から夏へとの手順は 踏んでもらえそうです。 今年の「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」にとって、先月は新しい取り 組みが生まれる月間となりました。 双葉郡富岡町の社会福祉協議会からお話を頂き、市内小名浜上神白地区にあるおてん とさんファームカジロのコットン畑の一角に、富岡町からの避難者の皆さんが集って 栽培を行う「みんなの畑」が設けられることになりました。 そして、その畑でのコットン栽培の農作業をするために、復興公営住宅や仮設住宅な どにお住まいの方々が毎月1回定例の作業日(毎月第3火曜日)に集合しようというこ とになり、その第1回目の作業日が5月26日にあったのでした。 雨のために当初の予定日を1週遅らせての実施ということで、何名の方が集まってく ださるのかと心配していまし たが、当初の予想を大きく上回る20名ほどの方が集まってくださいました。 社会福祉協議会の生活支援相談員の方々が個別訪問の際に細めに声をかけてくださっ た成果でした。 中高年の女性が大半ですが、中には男性の方も数名おられました。 皆さん、帽子に長靴、首にはタオルを巻き…と準備万端のスタイルで集まりました。 当日の作業は、畝立てとマルチと呼ばれる黒いビニルシート敷き。そしてポットで発 芽させておいた小さなコットン苗の定植でした。 1反程の広さの畑は、震災前は近くの小学校に学校田として貸し出されていた田んぼ でした。 震災後、子供たちの土いじりが制限された時期に学校から返され、耕作放棄されよう...

震災通信2015年4月

震災通信2015年4月

—- 【2015年4月30日号】 the-people 2015/05/02 11:30:23 【2015年4月30日号】 皆様、 昨日からゴールデンウイークに突入し、今月初旬の降雪騒ぎが嘘のように、春を通り越して一足飛びに汗ばむ季節が到来しました。 一昨日郡山市へと高速道路を走った時に目にとまったのは、まだ緑一色とは言い難い色合いの山々を彩る山桜の淡いピンクと、 道路端に設置された気温表示板の34.0°Cという何とも不釣合いな数字でした。 体調管理に気を遣う必要がありそうです。 ネパールで起きた大地震のニュース。 ネパールの方たちにとって、一日も早く平安な日々が戻ることを心から祈りたいと思います。 世界各地で、ネパールからの報道に心揺すぶられ、 動き出した人たちは少なくありません。 その中に、ピープルが主催した水俣への派遣事業に参加したいわき市内の中高生たちもいます。 5月2日から、ネパールからの留学生が数多く学ぶ東日本国際大学の方たちと共に、街頭に立って救援募金を呼びかけようと準備を進めています。 一昨年のフィリピンを襲った台風災害の折にも募金活動のため街頭に立った彼らが、今年もアジアの仲間の為にと動き出そうとしています。 若者たちは大きく成長する力を秘めているのだと、社会変えていく力を持っているのだと改めて気付かされます。 彼らの呼びかける姿を目にする機会があれば、是非激励の声をかけてやってください。 「ピープルさんはまだ古着のリサイクルを続けているんですか?」そんなお尋ねをいただくことがあります。 「もちろん!」とお答えすると、「それならば自宅で不要になった古着を送りたいのですが…」と、古着の提供の仕方について話が進むことが少なくありません。 震災後の小名浜地区復興支援ボランティアセンターでの被災者支援活動や、ふくしまオーガニックコットンプロジェクトの影に隠れて、ピープルの基盤事業である古着リサイクルの活動があまり見えなくなっているのかもしれません。 しかし、年間250トンの古着を燃やすことなく社会に資源として戻していこうというピープルの取り組みは、仲間たちの地道な活動に支えられ、震災後も地域の中で進められています。 そして、この度古着リサイクルに関して地域を超えて連携をしようという話が、市外から立て続けに舞い込みました。...

震災通信2015年3月

震災通信2015年3月

—- 2015年3月11日号 the-people 2015/03/11 22:23:43 皆様、あの日から今日で丸4年。 大きな節目の日を迎えています。 皆様はどんな風に今日という日を過ごされるのでしょうか? 今朝のNHK全国ニュースでの中継は双葉郡富岡町からでした。 宮城や岩手の津波被災エリアではなく、福島の原発事故の影響が色濃く残る街からの 中継。 昨年9月から通行できるようになった国道6号線沿いに積み上げられた除染廃棄物のフ レコンバッグの山や、路地ごとに設けられたバリケードが映し出されていました。 そして、いわきでのコミュニティ問題が続いて語られました。 あの日からの時間の経過と抱える課題の変容が伝わってきました。 この現実を、心の片隅に置いて今日一日を過ごしたいと思います。 ザ・ピープルでは、今夕催される「第4回3.11祈りのつどい」(主催:3.11希望の 灯りプロジェクト実行委員会)の応援をさせて頂きます。 いわき市平中央公園に、皆の願いを書いたカップロウソクを灯して東日本大震災の慰 霊と復興を祈願するという集いです。 この公園には、大震災後に神戸の阪神・淡路大震災の鎮魂と復興のモニュメントであ る「1.17希望の灯り」より分灯頂いて神戸よりいわきまで徒歩で運んできた灯りが灯 り続けています。 二つの震災をつなぐ灯りを囲み、犠牲になられた方々の無念に思いを馳せ、今を生き る私たちが成さねばならぬことに思いを巡らすひと時を、多くの人たちと分かち合い...