震災通信2011年4月

—-

4月4日号
the-people

2011/04/04 11:47:00

先日、冷凍庫が津波の被害を受けた水産加工会社の冷凍魚が溶けて廃棄処分する前に…と市内の福祉施設に配ってまわった先の一つの施設から、集配がやっと始まった郵便で便りが届きました。 「…(前略) さて、このたびはいち早くご支援物資をお届け下さり誠にありがとうございました。震災後は水道が止まっていましたが当施設の地区は予定より若干早く昨日復旧し施設内は歓喜につつまれました。ご入居者様の被害はありませんでしたが、津波の被害で家族や実家を失った職員がおります。自宅が半壊した職員もおります。ご入居者様の生活は殆ど元通りにもどりつつありますが、職員のケアについては時間がかかると思います。しかしながら、前を向いて一歩ずつ進んでおります。(後略)」
マイクロバスで走り回った日に、それぞれの施設の玄関で出迎えてくれた職員の方たちの笑顔が思い出されます。水道の止まった施設で介護を続けることの大変さは、高齢の義父と共に3週間断水状態の自宅で生活していた自分としても察するに余りあります。その上、家族に被害を受けながらどのような思いで介護の仕事を続けておられたのでしょう。別の福祉施設からも、「職員が津波の被害にあったので、家族7人分(80歳代女性・50歳代男女・20歳男性・男子高校生・男子中学生・女子小学生)の衣類を提供してもらえないだろうか…」との問い合わせがあり、対応させていただくことがありました。皆懸命に与えられた境遇の中で生きてきたのだと、感慨深いものがあります。
YOUTUBEに、いわき市の救援物資受け入れ倉庫の山積みの物資のもようが掲載され、いわき市内ではちょっとした話題になっています。ネット上では行政の対応を批判するコメントが寄せられているようです。確かに、以前書かせていただいたように、震災後の救援物資配布に関し機能的に動けていなかった部分があるのは確かです。しかし、この動画が撮影された3月30日時点では、本会はボランタリーな形で競輪場から何度も小名浜地区の避難所に要望のあった救援物資を運んでおりましたし、他にもJCや若者たちのボランティアグループなどもあり、何も動いていない状況では決してありませんでした。逆に、こうした映像によって、これまでいわきに対して声援を寄せてくださっていた方々の気持ちが離れていってしまうことが心配でなりません。
実際に競輪場に何度も足を踏み入れた人間としては、救援物資としてお寄せいただく品と被災民のニーズがマッチできていないことが最大の問題だと思います。現時点でのいわき市内の状況は震災直後とは異なってきています。乾パンやアルファ米(お湯だけでご飯になる非常食のドライご飯)、ペトボトル水が大量に必要とされていた時期はとうに過ぎています。競輪場の救援物資の在庫のうちのある部分は、いわき市内の避難所におられる方たちにとって、もう既に不要な品になりつつあるのは間違いないと思います。まだ必要性の高い地域があるなら、そこに送ることが出来ないものか…考えてしまいます。
防寒着も漸く春めいてきた気候の中では次第に不要になりつつあります。逆に、避難所では洗濯が思うようでないことから下着は喜ばれますが、様々なサイズの下着はなかなかありません。ましてや女性用の下着の中にブラジャーは殆ど見当たりません。避難所には高齢者が多いものの、若い女性たちもいますが、彼女たちのニーズは無視されています。
当たり前の食事のための食材も不足しています。私たちが日常の食卓で目にするソース、マヨネーズ、ケチャップ、酢などの調味料は救援物資の中には入ってきません。自炊炊き出しを始めた避難所のお母さんたちが料理に腕を振るうための食材も決して豊富とはいえません。避難所が日常生活の場になった今、本当に必要な物資を必要な量だけ届けてあげたいと思わずにはいられません。
避難所になっている中学校の校長先生と、避難所に「避難所母さんたちの元気プロジェクト」のための食材を届けてくれている産直市場の方から、時を同じくして同じ物が欲しいと要望がありました。それは放射線測定器。中学校では保護者からの安全性に対する不安の声に応えるために。そして、産直市場では出来るだけ安全ないわき産の食材を提供するために。今日も報道ではいわき産の露地物しいたけから基準値を越える放射性物質が検出されたとのニュースが流れています。いわきの問題は物量だけでは解決できない部分に入り込みつつあるのです。
皆様からお寄せ頂いたご支援に、心からの感謝を申し上げます。
NPO法人 ザ・ピープル 理事長 吉田恵美子

—-

4月9日号
the-people

2011/04/09 11:48:00

一昨夜のマグニチュード7.1という余震には驚かされました。
いわきは震度4とのことでしたが、3月11日を思い出させる長い、長い揺れでした。
震災から1ヶ月の今になって、振り出しに戻るようなこの揺れには、何ともいえぬ不気味さを感じずにはいられませんでした。
宮城・岩手では多くの地域で停電が続いています。被災された方たちの気持ちが挫けてしまわぬよう祈るばかりです。昨日はいわき市内の農業生産者を訪ねてきました。先日、地域で木酢液を製造販売し地域の農業生産者と連携しておられる事業所の方から「丹精込めて野菜を生産しても、風評被害などのためなかなか売れなくて農家の方たちが困っている」と話を伺い、避難所では食材として野菜が入手できないと困っているところが少なくないのだから、この間を繋いだらいわきの野菜を避難所で食べてもらえるのでは…と考えたからです。風評被害がどれほどの実害を及ぼしているのかこの目で確かめてみたいという思いもありました。
訪ねたのは、下小川地区でほうれん草や蕪、スナップエンドウなどをハウス栽培しているSさんと、好間地区でアスパラガスをハウス栽培しているAさん。どちらも木酢液を使用しながら、丁寧に生産しておられる方たちということで、本当ならばスーパーや産直市場で引っ張りだこの美味しい野菜を出荷できる方だといいます。
Sさんのビニルハウスでは、背丈50cmほどに伸び青々と茂った葉が私たちを迎えてくれました。「野沢菜みたいでしょ」というSさんの言葉通り、畝に続く緑の茂みはあまり馴染みのない姿です。それが、収穫時期を逃してしまったほうれん草でした。「こんなになっちゃっては店には出せないけど、食べてはおいしいんだよ。おひたしにしてもバター炒めにしても…」 本来の作付け計画ではとうの昔に収穫を終え次の野菜の栽培にかかるはずだった場所に、殆ど手付かずのままに残るほうれん草を前に、Sさんは口惜しそうに話をしてくれました。「洗えば問題ないっていうのに…」「次の作物にかかからなければならないのに…」「本当に損害を補償してもらえるのか…」と。隣の畝のわさび菜もスーパーでは目にしたこともないほどの大きさに育ち、大根の畝では高く伸びた茎の先端にはつぼみが顔を覗かせています。
昨日漸く私の手元に届いた放射線測定器を使ってハウス内の土の上で数値を測定してみると、値は0.36から0.48マイクロシーベルトあたりの間を行き来しています。一般に報道されている数値と比較しても問題になるものではありません。(…食品に含まれる放射線の量を測定する機械ではないため、●●ベクレルという数値を測定することは出来ませんが、土壌自体の放射線量はある程度目安になるとこの測定器を貸してくれた知人から指導を受けました)
Aさんのビニルハウスの入口近くには、出荷できずに終わったアスパラガスが打ち捨てられて山をなしていました。そのどれもが太く立派で春の息吹に満ちています。このまま朽ち果てさせるのが残念でなりませんでした。このハウスの中での数値もSさんのハウスと大きく違ってはいませんでした。…「数値の分かる写真を撮って、安全だと分かるようにして売れればいいのに…」風評被害から守るためにそんな考えが浮かびました。
お二人の農園を後にする際、何種類かの野菜を求めてきました。そして、避難所になっている中学校の校長先生に話をし、避難所の夕食用の食材として持ち込みました。避難所の調理担当者(この方自身も被災者です)は、久しぶりの葉物野菜に声を上げて喜んでくださいました。地産地消で皆が元気になる術を、私たちは考え出していかなければならないと痛感する1日でした。
明日は、皆様からご支援いただいてレンタルを続けてきたマイクロバスで、気晴らしを兼ねて各避難所から小名浜のまちなかのショッピングモールまで出掛ける無料送迎バスの運行を予定しています。晴れれば小名浜港を見下ろせる三崎公園にも立ち寄り、開き始めた桜の花を楽しんでもらおうと思っていますが、現在のところは3月並みの冷たい雨が落ちています。どうなるでしょうか。
皆様からご提供いただいた救援物資などを活用させていただきながら、本会ではこれからも避難所での食の安全・安心の確保や生活復興への道筋作りに本会なりに協力してまいりたいと考えております。
今後とも、ご指導ご支援のほど宜しくお願い申し上げます。
特定非営利活動法人 ザ・ピープル 理事長 吉田恵美子

—-

4月13日号
the-people

2011/04/13 10:50:00

本当なら、3月11日の震災からちょうど1ヶ月になる4月11日の晩にこの通信の7号目を送らせていただきたいと思っておりました。
「震災から1ヶ月。漸く生活の中にも震災前の落ち着きが戻ってきつつあります」との言葉を添えて…。

しかし、11日17:16震度6弱の地震により、一挙に断水と停電という1ヶ月前の状況に戻ってしまいました。ガスの供給も止まりライフラインの全てが寸断されてしまったスタッフもいました。折しも激しい雷雨の中での地震で、停電の暗闇の中に稲光だけが時折明るく浮かびあがる様は本震以上の恐ろしさを感じさせるものでした。
その後も何度も大きな余震…余震と呼ぶにはあまりに大きな余震に襲われ、その度に3月11日の状況が甦ります。給水所での長い列とガソリンスタンド周辺の渋滞…何度もビデオフィルムの巻き戻しをさせられているような気分になります。これまでの地震を懸命に耐えていた建物が堪りかねて…という話も耳にしています。
これまで当たり前のものとして受け止めていた、ライフラインが繋がっていることの有難さ、地面が揺がぬことの有難さを痛いほどに思い知らされています。

12日、漸く電気が復旧してインターネットが繋がって初めて目にしたのが「福島原発事故がチェルノブイリと同じレベル7に引き上げられた」というニュースでした。…震災直後はレベル5で、過度の心配は要らないと報じていたのに…。
そして、「大規模な余震が今後半年から1年ほどは続くかもしれない」との見解を専門家が話す映像も目にしました。…震災直後には1、2ヶ月後には大きな余震の発生する危険性は10%程度、と述べていたはずなのに…。
恐らく誰もが想定したことのない自然の脅威と人為的な災害のダブルパンチを受けているということだけは間違いがないのでしょう。

いわきの野菜を購入して風評被害に苦しむ農家を助けようという動きが市内外で始まりつつあります。昨日の東京新橋駅前でのイベントは大好評で、野菜や果物を完売したと現場に駆けつけた都内在住の知人から電話が入りました。また、先日神奈川県からマイクロバスを仕立てていわきに野菜を運んでくださった女性団体の皆さんからは、「神奈川でいわき産野菜の販売を手掛けてみましょう」との心強いお申し出を頂きました。電話で「キャベツやブロッコリーの行き場がなくて…」と申し上げた途端に、「こちらに送ってください。メンバーで何とかします」と言ってくださった方もおられます。こうした応援が嬉しくてなりません。そして、この応援の輪が全国各地に広がっていってくれることを祈らずにいられません。

いわきも桜の花に彩られる季節を迎えています。平の新川沿いの桜並木は淡いピンクの雲に包まれています。憂いのない春であったらどんなにか楽しかっただろうと、救援物資を運ぶ車窓から眺めては思っています。

多くの皆様からのご支援に心より感謝申し上げます。

特定非営利活動法人 ザ・ピープル 理事長 吉田恵美子

—-

4月20日号
the-people

2011/04/20 10:54:00

いわきでは、昨日は満開に近づいた桜を濡らす冷たい雨が降っていました。
これまで、本会では震災後独自に自分たちのできる形での被災者支援の活動を続けてきました。
その中で、同じようにいわき市小名浜地区の中で活動する若者たちとの出会いがあり、共に「いわき市小名浜地区災害ボランティアセンター」として活動していこうということになりました。そして、被災されている方たちにとって安心して相談を持ちかけられる相手になるために、公的な動きとの連携も欠かせないだろうということで、いわき市社会福祉協議会の中に設けられているいわき市災害救援ボランティアセンターの傘下に入り、その地域支部的な動きをすることと致しました。4月19日はその「いわき市小名浜地区災害ボランティアセンター」の旗揚げの日となりました。
センター事務所は、地域のある事業主の方から無償提供を受けることが出来ました。
建物の1階部分が広いガレージなっているその事務所には、既に全国各地から本会宛に送られてきた救援物資の数々が持ち込まれ、その出番を待っています。社長さんから「2階事務所にある電話・パソコン・コピー機などはそのまま使っていいから」と言っていただき、昨日から既に事務所機器を総動員してのセンター開設準備が進められました。簡単なものではありますが、ホームページも立ち上がりました。
http://onahama-volunteer.jimdo.com/で、覗いていただければ幸いです。
仲間が増えるということは力が何倍にもなって加わることです。

仲間といえば、この「いわき震災通信」を通して、全国各地の皆様から「いわきの野菜や物産を私たちの地域で応援して販売する機会を設けましょう!」という心強いお申し出を頂くことが度重なってきました。
地域の農業生産者を風評被害から守ろうと懸命に活動する方たちと一緒に、その出荷準備にあたっています。
これからゴールデンウイークまでに間に企画されているいわき農産品などの応援販機会をまとめてみました。
お近くで催される際には、是非足を運んでいただければと思います。
月日
会場
主催または協力団体
問い合わせ先————–4月21日
チューリッヒ
(神奈川県相模原市緑区)
青い鳥
042-782-3269————–4月22日
WE21ショップつづき金曜市
(神奈川県横浜市都筑区茅ヶ崎)
WE21ジャパン都筑
045-948-5596————–4月27日~5月2日
HEART FOR JAPANプロジェクト
ギャラリーやさしい予感
(東京都品川区上大崎)
(社)日本リ・ファッション協会
(めひかり塩チョコのみ販売)
※5月1日トークショーに私も伺います
03-5942-3028————–4月28日
MOTTAINAIマーケット
農産物即売会
(東京都千代田区一ツ橋 毎日新聞社1F)
(協力) 毎日新聞社
※販売員として私も伺います
03-3212-2314————–4月30日
詳細未着
WE21ジャパン
045-440-0421————–5月3・4日
KYOTO西山アトリエ村展
(京都府京都市西京区大枝)
西山高原アトリエ村展実行委員会
075-335-3733————–
沢山の仲間の皆様に支えられて、復興への道を辿り始めることができました。
心より感謝申し上げます。
特定非営利活動法人 ザ・ピープル 理事長 吉田恵美子

—-

4月22日号
the-people

2011/04/22 11:20:00

20日夜、私は福島市の県青少年会館にいました。
NPO法人チェルノブイリ救援・中部の河田昌東氏による講演会に出席するためでした。
震災後初めて走る磐越・東北自動車道は、以前に比べ一部若干の段差があるものの、心配したほどのこともなく、スムーズに走行することが出来ました。
周囲の景色も以前とあまり変わった様子もなく、わずかに雪の残る山並みを目にしたときには震災前にタイムスリップしたようにさえ感じました。
震災の被災地から被害を免れた地域へ向かっているのだというイメージで車を走らせました。

開始時間ギリギリに到着した会場は、既に満員の状態でした。
「定員150名」と今回の講演会の主催者であるK氏が発信した案内メールにはありましたが、200人以上入っているのではないかと思われました。
K氏は本会が産声を上げた当時から様々な教えを受けてきた恩師とも言える方です。地方紙の報道の最前線におられた時から、地方の活力を再生するための姿勢をぶれることなく持ち続け、現在は福島市内でフリージャーナリストとして活動しておられます。本会で放射線量測定器を入手する際にお手伝い下さったNPO法人チェルノブイリ救援・中部のJ氏から、「近々、会の理事たちが福島市を訪問しますが、是非一番放射線の問題が深刻な飯舘村にも伺いたいと思います。どなたか飯館村の方を紹介していただけませんか?」との問い合わせがあった時に、真っ先に頭に浮かんだのがK氏のことでした。電話で事情を話すと「よっしゃ!」とばかりに飯舘村の顔役の方に繋いで下さいました。そして、飯舘村で入手された情報を含め、福島に住む私たちが今一番知りたいこと、知らなければいけないことを伝える講演会を企画して下さったのです。企画から数日での開催であったにも拘らず、多くの福島市民が集まったこの講演会は、ピーンと張り詰めた空気の中、始まりました。

NPO法人チェルノブイリ救援・中部はチェルノブイリ原発事故以降、長年に亘り現地に於いて医療支援や放射線によって汚染され食用作物栽培禁止エリアにおいてエネルギー作物の栽培を続けながら土壌浄化する取組みなどを続けて来られた団体であり、今回の福島原発の事故によってもたらされた放射能汚染を今後少しでも食い止めるために、今なすべきことを伝えたい!と今回福島を訪れることになったのでした。河田氏の講演では、会としてこれまでウクライナで実践して来られた取り組みが冷静に且つ力強く語られました。そして、内容が飯舘村や福島市内での放射線量測定の結果と今後の対策に及ぶと、会場内には「やはり…」といった緊張感が走りました。質疑応答の時間には福島市で不安を抱えながら子育てしているお父さんやお母さんが手を挙げました。「放射線管理区域内と同じレベルの数値が出ている学校で、これからも生活させていていいのか?」「福島県民に被曝手帳を配布すべきではないのか?」…。ここ福島市や飯舘村を含む県北地域もまた深刻な被災地であることを強く感じずにはいられませんでした。

「までいライフ」という言葉をご存知でしょうか?「までい」とは「真手(まて)」という古語が語源で、左右揃った手、両手の意味。それが転じて、手間ひま惜しまず、丁寧に、心込めて、つつましくという意味で、現在でも東北地方で使われている方言です。飯舘村の菅野典雄村長の村づくりの底流にずっと流れてきたのが、飯舘村流のスローライフ、「までいライフ」でした。私自身、2008年に「までい交遊塾」なる1泊2日のイベントに招かれ、本会の活動を紹介させて頂くと共に「までいライフ」の真髄に触れさせて頂きました。山で集めてきた竹笹で竹箒を作っては隣近所に配るのが趣味だというおじいさんの仕事場には、山のめぐみが所狭しと並べられていました。村の神社へ向かう道では祭のさまを熱心に話してくれるおばあさんがいました。食事どきには村のお母さんたちが郷土料理の数々をこれでもかと言うほど振舞ってくれました。一つ一つ「までい」に作られた営みがそこにはありました。
今、「までい」に作り上げられてきた村の生活が「計画的避難区域」という形で根底から崩されていこうとしています。
ここから立ち上がるために、私たちは何をしたらいいのでしょうか?大きな問いかけが残りました。
なお、この情報発信に対して、いわき産野菜の販売に関しての疑問を抱くメールを頂戴しました。いわきは水素爆発時の風向きなど様々な条件が重なり放射線量の低い地域である(…だからこそ、いわきでは風評被害が大きな問題になっております。そのためにも、私たちは放射線量測定器の入手を望みました)と共に、本会を通して送り出している野菜は施設栽培のもので出荷制限の範囲外のものに限っております。ご安心いただければと思います。
前回詳細の無かったいわき産野菜の販売機会は、以下の通りです。
月日:4月30日
イベント名:「みんなでバザー」
会場:海老名中央公園(〒243-0432 神奈川県海老名市中央一丁目291番地の3)
主催:WE21ジャパン
連絡先:045-440-0421
特定非営利活動法人 ザ・ピープル 理事長 吉田恵美子

—-

4月28日号
the-people

2011/04/28 12:25:00

この通信も10号を迎えました。
これほど長くいわきの情報発信が必要になるとは、当初は思っておりませんでした。
お付き合いくださった皆様にお礼申し上げます。

今日はこれから上京し、毎日新聞社の社屋ビル内にある「MOTTAINAIマーケット」でのいわき産野菜の即売会のお手伝いです。
会場: 東京都千代田区一ツ橋 パレスビル1F 地下鉄東西線竹橋駅スグ
とき:4月28日11:00~18:00
しかし、あいにくの雨と風、はたしてお客さんが来て下さるのか不安な状況です。
もし、お近くにおいでの方がおられましたら覗いていただければ幸いです。

「いわき市小名浜地区災害ボランティアセンター」が稼動し始めてから、色々な状況が見えてきました。
23日には小名浜地区内の殆どの避難所を一斉にまわってニーズの聞き取り調査を行いました。
「家の中の泥を取り除く手助けをして欲しい。」「側溝にたまった土砂を掃除して欲しい。」といった作業依頼と共に、「情報がなかなか伝わってこない。」「せめて週2回に風呂を増やして欲しい。」「新居が決まったら布団が欲しい。」「「市長さんに避難所に来てほしい。」と、多種多様な要望が寄せられました。
私たちでは対応できないものも多いのですが、せめて「出来る」「出来ない」の返事だけでもきちんと差し上げたいと思っています。

吉田恵美子
特定非営利活動法人 ザ・ピープル 理事長