震災通信2011年3月

3月21日号
the-people

2011/03/21 17:56:00

この度の震災では色々ご心配頂き、ありがとうございます。また、被災された皆様、心よりお見舞い申し上げます。どうか体調を崩されませんように。
今、原発事故の関連で、いわき市内では屋内退避の勧告を受けております。また、40歳以下の安定ヨウ素剤の配布も始まっております。昨日は基準値を超える放射線量が川俣町の牛乳と茨城のほうれん草から検出されたとの報道がありました。健康被害があるほどではないというものの、地域の農産物の今後が危ぶまれます。
市内から安全な市外、県外へと避難しようとする人の流れが止まりません。このままいくと「いわき」というコミュニティが崩壊してしまうのではないかと思うほどです。本会でも何名かのメンバーが県外へ避難していきました。家族が透析の治療が必要であるにも関わらず、市内で透析治療を施す病院がなくなってしまったため、埼玉県に移っていった者もおります。小さな孫の将来を案じて避難を決意した者もおります。
関西から反原発の市民団体が「赤ちゃん引越しプロジェクト」という名前で支援品を積んだ車をこちらに向けて走らせ、帰り便に市外に避難を希望する小さなお子さんを抱えたお母さんたちを含むご家族を乗せてあげようとしています。政治的活動に組するつもりはありませんが、もしこうした手段を欲する人がいれば…と思い、市内のコミュニティ放送に情報提供するなどお手伝いをしております。
今、本会に出来ることは回収した古着の中から、要望のあった防寒着・子供服・毛布・クツ(津波の被害に逢われた方の中には裸足の方もおられました)・介護用紙おむつなどをいわき市総合保健福祉センターや小名浜地区センターに乗用車(ガソリンの関係で)で何度か運ぶことくらいです。
地震直後に避難所用のカーペットのご提供を申し出てくださった企業の方がおられて、いわき市災害対策本部に連絡し運び込んで頂きましたが、その後どのように活用されたのか自分自身では確認できずにいるのが現状です。なかなか身動きできない状況が歯痒くてなりません。
水道の復旧が市内の所々で始まっています。入手困難だったガソリンが、漸く市内の幾つかのガソリンスタンドで買えるようになるとの市長メッセージが市のHPに掲載されました。ここ何日もガソリンスタンド周辺に車を停めてこのときを待っていた人たちが給油して動き出せるようになることでしょう。市内のスーパーも時間制限はあるものの昨日辺りから少しずつ店を開け始めました。
こうして徐々に日常の生活に戻っていくとき、一番怖いのはいわきに対する風評被害だと思います。ネット上ではいわきに対する誤った情報が飛び交っています。放射能汚染が原因でこどもや老人が死んでいくような状況は決してありません。心に一抹の不安を抱いていることは否定できませんが、それでもいわきのためにと懸命に働いている多くの仲間がいることを是非皆様に知っていただき、誤解を解くお手伝いをお願いできればと思います。NPO法人 ザ・ピープル 吉田恵美子

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3月24日号
the-people

2011/03/24 18:08:00

色々とご心配頂き、ありがとうございます。被災地の状況は日々変わっていくことを実感する毎日です。昨日はいわき市東京事務所早川さんから、港区様のご協力による支援物資受け入れのお話が皆様の下に届いているかと思います。ご協力賜れば幸甚です。
本会では、ここ数日は各地の支援団体から送られた支援物資倉庫から避難所や地区センターへ要望のあった支援品を運ぶ作業を手伝っております。避難所からのニーズは様々です。震災直後は津波の被害を受けられた方々が防寒具やクツなどを希望しておられましたが、避難所生活が長期化していくにつれて着替え用の下着や衛生用品、高齢者用の紙おむつ、消毒用アルコール、マスクなどが望まれています。今後は、日常の何気ない生活を続けるための身近な生活雑貨の要望も出てくるのではないかと考えています。例えば、老眼鏡や爪切といった要望も耳にしました。
一昨日は、津波の被害のあった地区の水産加工会社から「壊れた冷凍庫の中の冷凍魚が解凍してしまって廃棄処分になる前に、何とか食材として活用できないか」とご相談を頂き、マイクロバスで市内19箇所の入所型老人介護施設・障害者施設にニーズを尋ねながら配ってまわるという作業を行いました。日本有数の広域市であるいわき市のこと、走行距離は200キロ、12時間の作業になりました。途中海岸沿いの地域では津波後の惨状に目を覆うばかりでした。
水道が止まっている、調理師が不在になっている、なま物は安全上の不安がある(この点については本会でも気にはなりましたが食料不足という現状では致し方ないと判断しました)…といった理由で「要りません」というお返事を頂いた施設もありましたが、少しでも解凍時間を遅らせたいと暖房を切ったマイクロバスで届けた箱詰めのサーモン・さんま・かまぼこなどに声を上げて喜んでくださった施設の方々もおられました。現在、商店が殆ど開いていないいわきの町の中、支援品が思うように届かない施設では、たんぱく質を十分に摂取できるような食事を準備するのが難しい現状にあるのです。
この輸送用に使ったマイクロバスは、実は先日のメールでご紹介した「赤ちゃん引越しプロジェクト」で使用するつもりで緊急車両の証明を受け、ガソリン満タンにしてスタンバイしておいたものでした。原発事故の緊迫した局面の中で、放射能被害を避けるため乳幼児をいわき市外へ…という企画に応じて2家族が無事大阪に移動して行かれましたが、結局このマイクロバスは使いませんでした。そこで、市内には珍しくガソリン満タンで残っていたこの車が冷凍魚を乗せて大活躍してくれたのです。ドライバーはご自身の実家が原発の20キロ圏内にあり、この震災で身内に2人の犠牲者を出された方です。でも、「こんな状態では葬式も出来ないから…」とボランティアをかって出てくれています。大阪に住むその方のお嬢さんがマイクロバスのレンタル料を捻出しようと募金箱を町のあちこちに置いて呼び掛けてくれています。
最近いわきの名がニュース上を賑わしてはいますが、多くの仲間に支えられていわきはまだまだ元気です。でも、この元気を持ち続けるためには皆様の応援が必要です。放射能に対する過剰反応をストップしてくださるよう、皆様からお近くの方々に声を掛けてくださいますよう心からお願い申し上げます。
また、このマイクロバスを活用して本会では避難所の皆さんのお買い物のお手伝いや支援品の仕分けボランティアの送迎を出来ないかと考えています。ガソリン不足で気持ちがあっても動けない人が多いのです。もし、マイクロバスのレンタルが継続できるようご支援を賜ることが出来れば幸いです。
NPO法人 ザ・ピープル 吉田恵美子

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3月26日号
the-people

2011/03/26 18:09:00

いわきでの震災後の状況をこうした形で継続発信させて頂くことにしました。
ご迷惑でなければお付き合い下さい。
そして、刻々と変わりゆく被災地の現状を一人でも多くの方にお伝え下さい。
昨日、福島原発事故に関連して官房長官から20キロから30キロ圏内について、「住民に自主避難を促すとともに、避難指示が出たら速やかに住民が避難できるよう地元の自治体に準備を指示した」との発表がありました。
南相馬市・浪江町・川内村・飯舘村・葛尾村・広野町・楢葉町と共に、いわき市の一部もこの指示に含まれることになりました。
作業員の被曝、首都圏での水道水への放射性物質混入、原子炉建屋からの煙…といった日々の報道に全国民が固唾を呑む中、いわきの地に住んでいる者にとっては、自分たちの住む地よりずっと離れている首都圏でペットボトルの水が消え福島県産の農産物が消えたというニュースと、自分たちの日々の現実が上手く結び付けられずに、不安感は高まるばかりです。「いわきは元気です」とばかりは言っていられない現実が押し寄せて来つつあります。
ここ2日ばかりは、いわき市内にもガソリンが大量に入って来たようで、市内何箇所かのガソリンスタンドで行列はあるもののガソリンが入れられるようになりました。市内の半分ほどは水道の復旧も完了したようで、そうした地域ではラーメン店・回転寿司店が営業を始めていたりしています。(残念なことに私が住む泉町は復旧から取り残されて、未だに水汲みが大切な家事になっています)スーパーマーケットも時間制限はあるものの開いている店が増えてきました。そして、こうした地域の一番の人気店はコインランドリーです。徐々に被害の少なかった地域では、心理的な部分を除けば平凡な日常が戻りつつあります。日本有数の広域市であるいわき市にあっては、今回の震災が残した爪跡はひと色ではありません。海岸から数百メートルの幅で延々と続く津波の被災地の住民と、そこからほんの少し内陸に入った地域の住民とは置かれている環境に雲泥の差があります。「オールいわきで頑張ろう!」と市長はメッセージを発していますが、「オールいわき」の一体感を持てないことが今後のいわきを苦しめるのではないかと懸念されます。
本会では、全国各地からいわき市に送られた災害救援品の集められた倉庫(市営の競輪場)から小名浜地区の避難所に避難しておられる方の要望に合わせて届けてまわる「御用聞き」ボランティアをここのところ行っています。前回ご紹介したマイクロバスが活動の足です。倉庫には、様々な災害支援物資が大量に届けられています。本当にありがたいことだと思います。しかし、実際に避難しておられる方の要望に応えようとすると揃わないことが少なくありません。例えば、避難所で現在望まれている衣類は下着や靴下などです。被災直後に必要性が高かった防寒着などはある程度行き渡ればそれ以上には必要ではなくなります。食に関しても白飯とおかずのある普通の食事が望まれています。できれば自炊が出来るような設備を…という声も聞いています。被災者だから具の入っていないおにぎりで満足を!というのは気の毒でなりません。しかし、倉庫にある食材は非常食が多く日常の食事を提供できるものにはなっていません。そして生活の細々とした雑貨への要望。爪きり、耳かき、老眼鏡、入れ歯洗浄剤、トイレ掃除用のゴム手袋…高齢者の割合の多い地域の避難所ではこんな些細なものまで求められているのです。
そして、もう一つご報告があります。震災の2日後にはいわきに支援物資として4トントラックで運びこんでくださった、本会の関連事業者さんからのカーペットを倉庫で確認しました。一部は避難所に運び込んで使用していたということでしたが、残りを倉庫に置きっ放しにしておくのはどう考えても勿体無いということで、マイクロバスを使って3日がかりで配ってまわりました。学校の体育館にダンボールと毛布を敷いて薄い布団で寝ておられる方もおられ、大変喜んでくださった避難所もありましたが、避難所である学校の体育館の中にそれぞれの居住スペースが出来上がった今となっては、敷き込みの作業を行うのは難しいと仰られる避難所もありました。これが震災直後、倉庫に届いた直後に有効活用されていれば…と口惜しくてなりませんでした。そして、ガソリン不足のために動けないことを理由に、確認を遅らせてしまった自分たちを責めずにはいられませんでした。ご提供くださった事業者の皆様に、この場を借りてお詫び申し上げたいと思います。
今、避難所には全国各地からの善意が様々な形で届けられています。救援物資や炊き出しを現地まで届けてくださる皆さんの熱意には頭が下がります。しかし、本会が立ち寄ったある避難所では、救援物資の受け取り担当者が、山積みの救援物資を前に「これまでは全く何も入ってこなかったのに、今日はいっぺんにこんなに頂いて…」と当惑しておられるようでした。各避難所への救援物資の流れをコントロールするシステムが早期に出来ていれば、もっとスムーズにことが進んだのかもしれないと思わせるものがありました。
今回の震災は様々な試練を私たちに投げかけています。そして、同時に多くの学びをも与えてくれていると感じずにはいられません。
最後に、このメールに呼応する形で様々な支援をお申し出下さった皆様に心からの感謝を申し上げます。
NPO法人 ザ・ピープル 吉田恵美子

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3月31日号
the-people

2011/03/31 11:46:00

いわきで桜の開花が確認されました。 震災から明日で3週間。着実に日は過ぎ、季節は春へと移っています。
一昨日、いわき市内の小名浜港に石油を搭載したタンカーが震災後初めて着岸し、港から石油が運び込めるようになったとの報道がありました。
待ちに待ったガソリン不足解消の日かと町に出てみましたが、まだガソリンスタンドにまでは到達できていないらしく、「ガソリン売れ切れ」の張り紙のあるスタンドが目立ちました。それでも、車の通行量は原発事故直後のゴーストタウンのような状況とは異なり、大分増えてきました。避難先から戻って来られる方も多いと聞いています。
27日、本会では小名浜地区内の2つの避難所で大阪からの市民グループの皆さんと一緒に炊き出しを行いました。メニューは白菜やジャガイモ、人参、きのこなど野菜がたっぷり入ったカレーうどん。1ヶ所目の避難所では訪問した私たちが調理を行い、避難所におられる方たちに振舞うという形にしましたが、2ヶ所目では時間の都合と避難所のお母さんたちの中で少しずつ自主的に炊き出しを始めておられたことから、調理を全てお母さんたちにお任せすることにしました。すると、避難所となっている中学校の体育館入口で、私たちの設えたコンロとまな板の並んだ長机を取り囲んで、お母さんたちの賑やかな笑い声一杯の調理が始まりました。大鍋から立ち上る湯気が何ともいえない温かさを感じさせ、夕方近くになって津波で壊された家の片付けから疲れ切って戻って来られた方たちの顔にも笑みがこぼれました。これまで、何度か避難所に足を運んできましたが、こんな明るい笑顔に出会ったのは初めてでした。
この避難所の責任者は中学校の校長先生です。中学校が避難所になってからは、ご自身も校長室に寝袋を持ち込み、泊り込みでその任にあたっておられます。私たちが物資を運び込む際には、いつも先頭に立って陣頭指揮を執ってくださいます。その校長先生が、避難しておられる方たちが炊き出しを自分たちで行えるようにしたいと、何日か前に訪問した際に熱く語っておられました。校長先生が望んでいたのは、温かな食事だけではなく、この笑顔だったのだと改めて気付かされました。そして、その笑顔は大阪の市民グループの皆さんが遠路遥々食材を運びながら望んで来られたものであり、また、私たちが避難所へと救援物資を運ぶお手伝いをさせていただきながらずっと願っていたものでもありました。
たまたまその場に居合わせた熊本からの災害支援のNPOの方と、そんなお話をしているうちに次のプロジェクトが生まれました。【避難所母さんたちの元気プロジェクト】。避難所のお母さんたちに自炊の道具と食材を提供し、避難所の皆さんのため笑顔一杯の食事を作ってもらおうというものです。お母さんたちの笑顔と温かな料理が、きっと避難所の皆さんに次に向かって立ち上がる勇気と元気を与えてくれることでしょう。ありがたいことに、このプロジェクトの経費は今回の震災の被災地に対する支援の形を探っておられた熊本のNPOの方たちがご提供くださることになりました。
この震災を通して、今まで何の接点もなかった方たちとの間にいくつものつながりが生まれました。
そして、今日までにこのプロジェクトは3ヶ所の避難所で動き出すことが決まりました。
改めて、救援物資をご提供下さった皆様、義援金の形で応援してくださった皆様に心からの感謝を申し上げます。
NPO法人 ザ・ピープル 理事長 吉田恵美子